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ジョージ・クルーニー

ERの医師といえばジョージ・クルーニー

ジョージ・クルーニーといえば医師役というイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。
1978年からテレビドラマとして始まった「ER緊急救命室」で主要なキャラクターとなる「ダグ・ロス」医師役を演じ、ジョージ・クルーニーは一躍有名になりました。

テレビ界のグラミーと呼ばれるエミー賞に2度ノミネートされ、その後、「バッドマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲」「スリー・キングス」「オーシャンズ11」などで成功をおさめ、その後はさまざまな作品に出演し、「シリアナ」という作品でアカデミー、助演男優賞を受賞しました。
彼は現在、映画プロデューサーとしての顔も持っており、2012年の「アルゴ」では、アカデミー作品賞を受賞する等、俳優以外にも活躍の場を広げています。
俳優以外の顔といえば、政治活動においても有名で、2008年からは国連のピース・メッセンジャーを務めるようになるなど、多方面で精力的に活動しています。

挫折と最悪の時間を繰り返した若き頃

映画評論家兼ニュースキャスターという父、母方の曾々々々祖母はエイブラハム・リンカーンの母と異母姉妹、儀叔父はアカデミー主演男優賞受賞者ホセ・フェラー、叔母は歌手ローズマリー・クルーニーという中に、ケンタッキー州キシントンで生まれました。
厳格なローマカトリックの中、成長し子供時代には一時期オハイオ州に暮らし、コロンバス聖ミカエル学校、そしてメイソンの聖スザンナ学校に通っていました。
中学時代にはベル麻痺に悩まされ、周りの子供たちからなじられ、嘲笑の的になったと当時の経験を苦々しく語っています。

ちなみにベル麻痺とは顔面神経の麻痺で、障害側の顔面筋がコントロールできなくなる病気です。
脳腫瘍や脳卒中などが原因となる事が多いものの、原因が特定できない場合さしてベル麻痺と呼んでいます。

高校時代は優等生でバスケット、野球に打ち込み、特に野球ではメジャーを目指すが不合格、大学に進学したが、卒業せず紳士服のセールスなどの仕事についていました。
彼がテレビで初めて仕事をしたのは、「遥かなる西部」という作品のエキストラ作品です。
俳優として初めての仕事は1983年で、車載トランシーバーについての日本向けコマーシャルだったといいますので驚きです。

ジョージ・クルーニーの人道的活動

ジョージ・クルーニーはブラッド・ピットやマット・デイモンらと共に、大量虐殺を阻止するチャリティー団体に参加しています。
2004年のスマトラ沖地震、2010年にはハイチ地震、2011年のアメリカ同時多発テロ事件の被災者への寄付を募るなど人道的活動を積極的に行っています。

また、2012年には同性結婚を禁止した条例をめぐる裁判劇という作品にブラッド・ピット、マーティン・シーンらと共に参加し、またGLSEN(ゲイ・レズビアン・ストレートの為の教育ネットーワーク)の寄付金確保のため、自身と食事する権利をオークションにかける等し、同性結婚への理解を求めています。
彼が動くことで世間に大きな話題を振りまくことができる、自分が行動する事で理解されにくい事も理解してもらえる可能性があるとして、難しい問題にも果敢に取り組んでいるのです。