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ビヨンセ

最高の美貌、ディーヴァとしての名声を不動のものとしたビヨンセ

アメリカが誇るディーヴァ、シンガーソングライターであり女優でもあり、音楽プロデューサーでもある、いくつもの才能を持つビヨンセは、第52回グラミーで6部門を受賞し、これは女性アーティスト史上最多の記録となっています。
美しい容姿に最高の歌声、彼女ほどの歌手はアメリカでもめったに表れる事がないでしょう。
彼女がこれまでに売り上げたCDのトータルセールスは全世界で1億枚以上といわれ、デスティニーズ・チャイルドの時代を換算すると1億6千枚以上のセールスを記録している世界が認めるシンガーです。

いきなり売れるようになったわけではない

アメリカでは子役から歌手、タレントになるという日本と同じような図式をもってデビューするタレントもいますが、日本と比較すると下積み時代がかなり長かったり、売れるまでに時間がかかるなど苦労している歌手、タレントが多いです。
実力あるタレント、歌手の卵が大勢いる中、才能と運を両方兼ね備え努力してこそ、やっとプロとなれる世界です。

ビヨンセも最初から売れたという事ではありません。
アフリカ系アメリカ人のお父さん、祖先にルイジアナ・クレオールを持つという母との間に生まれました。
ルイジアナ・クレオールというのは、フランス人の血を引くアメリカのインディアンのことです。
ビヨンセという名前が付けられたのは、フランス領ルイジアナと縁があることから、フランス名でビヨンセと読ませたと言われています。

ホイットニーやジェームズ・ブラウン、ジャクソン5やスティービー・ワンダー等ソウルミュージック、ゴスペル、リズム&ブルース、さらに様々なジャンルの音楽が好きで、小さい頃から音の中で育っていきます。
ダンススクールに通い学校主催のタレント・ショーに出演する等徐々に才能を開花させていきます。

両親は娘が音楽に潜在的能力を持っていると確信し、ヒューストンでガールズグループの、ガールズタイムを結成させ、母が経営する美容室の客に向けて歌を披露する等していましたが、なかなかうまくいかず、ビヨンセの父はとうとう企業に勤めていたキャリアを打ち切り、ビヨンセたちのマネージメントを引き受けました。
父の厳しい指導のもと、それでも活躍の場は聖歌隊や教会での披露だったのです。

彼女たちは母の提案でディスティニーズ・チャイルドと名前を変えて、このことをきっかけとしてレコード会社の目にとまりデビューすることになります。
そしてとうとう、1998年、全米の人気グループとなったのです。

ソロ活動から一躍ディーヴァとなる

メンバーそれぞれがソロ活動を開始し、ビヨンセはなかなかソロデビューとならなかったのですが、2003年、やっとデンジャラスリィ・イン・ラヴをリリース、このうち、ファーストシングルとなったクレイジー・イン・ラヴがビルボードホット100シングルで8週連続を記録します。
ここから彼女がスターダムにのし上がっていくのです。
レディー・ガガのシングルにフィーチャリングアーティストとして参加する等、様々な活動を繰り広げるビヨンセは父の隠し子騒動、自身の流産などを経験し、一度芸能活動を休止、父から独立し、その後、ステージ上で妊娠していることを公表し、長女を出産、彼女は常に第一線上にいる最高のディーヴァといって過言ではありません。